鈴江崇文ストーリー|グリーンエナジー&カンパニー|自然資本の新しい時代をリードする
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鈴江崇文ストーリー

Life Story

鈴江崇文

Takafumi Suzue

イニシャル時代

 

なんでもゲームで考えた少年

1973年12月、徳島県生まれ。両親は県内で会社を経営していた。小学校時代、周囲の子と違ったのは、どんな遊びもオリジナルのゲームにしてしまったことだった。ルールを変えたりインセンティブを付けたりして楽しんでいた。一方、祖母の家で過ごすのも好きで、セミや魚を捕まえるのが得意だった。両親は仕事でいつも多忙。教わったのは「なんでもチャレンジしろ」ということだった。
「親から、あれしろ、これしろと言われなかった。悪くいえば放任みたいな感じかもしれないけど、ぼくにとっては良かった。幼少時に、自由な行動に否定的なことを言われて、大人になっても縮こまってしまっている人は多いと思う。社会人になって気が付いた。」と言う。

中学と高校時代、数学は大好きでクラスでもトップクラスの成績だったが、国語は苦手だった。中高を通して部活はサッカー部でポジションはフォワード。

 

独自のビジネスゲームに
没頭した大学生

大学で建築家の道を目指すも興味が持てず、もっぱらパチンコをビジネスゲームとみなして収益の最大化を追求していた。ゴールを設定していかにクリアするか、独自のノートを作って分析、評価し、正確さの確率を高め、着実に成果を出していた。だから他の学生のキャンパスライフとはまったく違っていた。

 

初就職と世界学遊

大学卒業後、大手住宅メーカーに入社し注文住宅の販売を担当、営業の基本を学んだ期間だった。そこで全国でも上位の結果を残したが、それ以上の意欲は掻き立てられなかった。
3年ほどたったころ、「今しかできないことをやろう」と退職。それは世界をみることと英語を身につけることだった。

荷物一つで日本を飛び出した。ロンドン、香港、ブリスベン、シドニー、パリ、上海、台北、ホーチミン、ロス、ニューヨーク他、12カ国でホームステイやバックパッカーをして過ごした。転々と移動することが面白く、語学は前向きに続けられなかったが、各地で全く違う街の構成や住宅の在り方に興味を感じた。

最後に訪れたのはニューヨークのマンハッタンで、到着したのは2001年9月10日。喧騒の中で2週間を過ごした。身近でテロを体験したことで人の生命に関しての意識を新たにした。

 

再就職での気づき

帰国して住宅のフランチャイズ本部に入社し、全国の加盟店に対する指導を担当。各地を周るうち、必要でないものを顧客に押し付け営業する業界特有の課題に疑問が湧いた。チーム構成、研修方法、プロジェクトの進め方など「こうすべきなのになぜしない?」と。しかし、そこで意見をいうことやリーダーシップを発揮することはあっても、改善への提案の方法は、当時はまだ身につけていなかった。やがてグロービス経営大学院に通いはじめ(経営の勉強に投資)、経営の基礎理論に触れ、課題分析・対策の仕方、比較対象の優劣の付け方、時間軸のフレームワークなどを学んだ。

戦いの時代の画像

戦いの時代

 

事業創造の前に事業再生があった

29歳になったころ、ある企業に入社するよう要請を受けた。その会社は総合建築業として、公共施設、民間施設、住宅などの企画・設計から施工まで幅広く請け負っていた。突然呼ばれた理由は経営上の重大な問題への対策のためだった。
先進的なクリエイティブ力で群を抜き高い評判を得ていた会社も、鈴江が入ったときは深刻な経営状態だった。かつては融資を率先してきた数銀行は、まさに手のひらを返していた。彼らが再生不能企業と見なしていたのは明らかだった。鈴江が託された使命はこの会社の再生にほかならなかった。5年間は休みを取らない決意をした。まず、時間と体力を使うという量の追求を自身に課した。それしか資本がなかったと言っていい。

戦いの時代の画像

そのうえで、結果を出すために土俵の真ん中にたって財政、人事、商品という会社の本質の全方向を完全にコントロールする必要があった。

 

企業改造スタート時

大改革に入った。
まず、内部の実態を詳細の数値で把握した。現状のままでよい数字は皆無で、すべての数値を変える必要があった。そして、会社再生の転換点に来るべき数字をセットした。そして、何の数値をいつどの数値に変えるかを決めていった。一つひとつを確実にクリアすれば会社は蘇るはずだ。
当然、社内の空気は一発触発。応援をしてくれる社員も中にはいたものの、どこを向いてもネガティブに満ちていた。しかし、コミュニケーションの改善よりコストダウンの方が重要。また、新規企画という前向きな選択肢は一切なかった。喫緊の課題は確実に利益を出す商品の営業に集中すること。だから粗利を出さない活動は排除した。公共工事もやめた。

 

シリアスで容赦ない数字のゲーム

毎日の指標はすべて数字だった。モチベーションは自身でセットした数字の達成だ。勝つしかないゲームである。この事業再生の期間、完全にゾーンに入っていた。外部との付き合いも日常生活を楽しむことも眼中に入らなかった。徐々にプラスが出てくるようになった。その数字が何よりの励みになった。この間、意見を聞く相手は誰もいなかった。自分で設定したゴールに向かって、とるべきコースの見極めと細かな修正の積み重ね、これが唯一の前進の方法だった。
この繰り返しを続け、6年後にあるべき数値に到達した。再生をやり遂げた。ある公認会計士は「ゾンビが人間に蘇った」と評した。

 

再生、再出発のステップとは?

鈴江の場合、自らの事業創造の前に事業再生のノウハウができた。ステップは企業の大小にかかわらず以下であると言う。

ステップ1 : やらないことを決める。
ステップ2 : ABC
(あたり前のことをバカになってちゃんとやる)
ステップ3 : イノベーション


ステップ1と2をクリアして初めてステップ3に進め、再出発ができるのである。

2007年、経営状態の適正化が確実になったころ、この不動産/住宅カテゴリーにおいて新規事業をスタートさせた。小規模なものだったが、自身がリーダーとなって数字をコミット、新収益セクションを立ち上げた。訴求したのはパッケージ型コンパクトハウスの展開であり、これは業界の常識を超えたものだった。そしてコミットした通りの結果を出した(=業界で注目されるようなダントツの結果、全国1位の結果)。
マイナスからの回帰を経たゼロリセットからの達成は自信につながった。展開につれて社内の理解者も増え、事業は順調に伸びていった。

戦いの時代の画像

起業~拡大の時代

 

住宅業

2009年にはこのコンパクトハウス事業を新会社として独立させた。これがグリーンエナジー&カンパニーの源となった。
一方、住宅業界を俯瞰すると決して楽天的なものではなかった。人口の減少で、これまで建て続けられた住宅は余っていくというトレンドが見え、リスクを感じながらの事業展開だった。

 

フライブルグでの体験

次の大きな変化は、2011年11月、ドイツのフライブルグでの視察のときだった。街にも個々の住宅にも太陽光発電が当然の選択肢に入っていたのである。この流れは認識していたものの、実際の稼働を体験したことで自分ごとになった。ここで、視野の転換が起きた。

起業〜拡大の時代の画像

 

プライベート発電所事業のスタート

マーケットが目の前で一気に広がった。自社にこのビジネスチャンスを最大限に活かす能力があることと判断し、太陽光発電所の開発を進めた。これが「プライベート発電所」の原点である。2012年7月、日本政府は再生可能エネルギーの導入を加速するために固定価格買取制度(FIT)を施行。鈴江は一気にグリーンエネルギー事業へのアクセルを踏んだ。サービスをスタートした年度である2014年3月期の決算でこの成功が顕著となった。

起業〜拡大の時代の画像

 

ネットゼロ・エネルギー・ハウス事業
のスタート

住宅事業の転換も図った。無駄を省いて経済的なコンパクトハウスと太陽光発電とは、コンセプトが完全に一致する。そこでコンパクトハウスとグリーンエネルギーを融合させたモデルを開発した。これが「ネットゼロ・エネルギー・ハウス」の原点である。

起業〜拡大の時代の画像

 

東証上場

2013年の暮れのこと、「上場しないの?」という声。銀行に依存するファイナンスに限界を感じ始めていたこともあり、慎重に検討し、翌年にはその準備に入った。
2年後の2016年3月、東証マザーズ上場を果たした。徳島県で1社目、四国全体でも2社目であった。
上場で大きく変わったことはガバナンスの重さである。ここでゲームのルールも変わったことを実感した。それは会社文化にも影響を与えた。上場後しばらくは、新しいルールへの運営の転換に打ち込んだ。数年かかったが、社員の戸惑いも払拭され、会社はより頑強になり、信用力も大幅に増して、本格的な拡大が可能な構造となった。

上場

グリーンエネルギーを創る「プライベート発電所」、グリーンエネルギーを創りながら使う「ネットゼロ・エネルギー・ハウス」というコア事業は順調に推移。並行して、2020年、「スマート農業」という全く新しい業態への準備を開始した。グリーンエネルギーを活用した地産地消の推進は、将来の食の安定につながることになる。

上場後

 

拡大発展

2024年4月期、目標年商100億円規模を達成した。全社員の努力が実らせた成果である。
2024年5月1日、会社を持株会社体制に移行、改名。「グリーンエナジー&カンパニー」という企業グループとして新しいフェーズのスタートを切った。

日経新聞

 

グリーンな環境促進のための
メッセージの発信

グリーンエナジー&カンパニーのビジョンは「個人参加型、持続可能エネルギー社会の実現」である。「個人それぞれに電力を創ろう、自分の生活にそれを使おう、さらに地域でシェアしよう」それが広まれば、おのずと世界共通の目標である持続可能エネルギー社会が実現する。
まず、電力は公共機関から買わなくても自分で創ることができる。どんなに使っても電気代を支払わなくてよいし、しかも環境に貢献するのである。サービスの提供だけでなく、このメッセージを伝え続けることは、個人参加型グリーンエネルギー事業のリーディングカンパニーの使命だと鈴江は考えている。

講演

 

これから増える電力需要

AIやIoTの発達によって、今後、事業の場や生活の場でさまざまな自動化が進むのは明らかである。世界の電力のニーズは高まり続け、2050年には現在の5倍になると予測されている。当然、現状の供給方式では賄いきれない。そのためには、法人、個人を問わず、あらゆるところで電力を創り出す必要がある。*たとえば、放置された空き家が増え続けていることが日本でも社会的な課題となっているが、発電所としての利用ができれば一挙両得である。発電にふさわしい条件を備えた建物や土地を見出すのも、グリーンエナジー&カンパニーができることの一つである。

戦いの時代の画像

 

<補足>
*世界の電力需要予測
Energy Institute - Statistical Review of World Energy(2023),Smil(2017)-with major processing by Our world in Data(テラワットはTW/h)

空き家問題
空き家問題の背景には、少子高齢化や人口減少、地方からの都市部への人口流出などが挙げられる。今後、空き家問題はさらに深刻化することが予想され、早急な対策が必要とされている。
総務省の統計*によると、2023年調査における全国の空き家数は約900万戸で、これは全住宅戸数の約13.8%に相当する。この数は今後も増加し続け、2040年には約1,000万戸に達すると予測されている。なお、空き家率が最も高いのは徳島県、和歌山県であり、グリーンエナジー&カンパニーの行動は重要である。

*総務省 令和5年住宅・土地統計調査 住宅数概数集計(速報集計)結果 chrome-
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